ふるさと賛歌 鈴木重雄(八色木)

民報藤島2026年07月19日第1550号

白寿何がめでたい

 私は今年県知事から白寿の賀詞、鶴岡市長から賀詞と祝金5万円を戴き感謝している。

 鶴岡市の名簿には小学校同級生1名の名前もあり懐かしかった。

 振り返れば昭和2年に生まれ、戦争に明け暮れた青少年時代だった。

 終戦の年昭和20年は私が18歳であった。国民の3大義務(兵役、教育、納税)である徴兵検査は満20歳であるが、兵隊が足りないので1歳引下げ、それでも足りなく18歳が強制志願である。

 志願を強制とは不思議であった。

 すべて海軍で、昭和20年6月、藤島小学校体操場に東田川郡内から集められ検査を受けた。

 担当軍医が身体検査と、もちろん性病の検査まで流れ作業である。

 甲種は身長160㎝以上、体重60㎏以上、視力検査を行い、誰もが甲種合格を願った。

 私は航空整備兵に合格し、昭和20年9月10日舞鶴海兵団に入隊の令状が届いたが、8月15日終戦となった。

 徴兵されるのは次三男が先で、長兄は後回しであった。

 戦争は南西諸島の玉砕と敗退など熾烈を極め、昭和20年6月国民義勇兵役法ができ、16歳から60歳までの男子、17歳から40歳までの女子は国民義勇隊に編入され、赤紙(召集令状)不要で召集できるようになったが、終戦で不発に終わった。

 戦後81年、語り継ぐべき友は鬼籍に入り、悲惨な戦争は夢のように過ぎ去っていく。

 しかし再び、あの時のような軍靴が忍び寄る予感がしないでもない。

 「平和は祈るものではなく人間がつくるものだ」(ダグラス・マッカーサー)

 私の白寿、青春時代に戦争さえなかったらと想わずにはいられない。


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