渡前小子ども獅子踊り今昔物語 

藁(わら)文化の里⑦

渡前獅子踊り保存会 太田功

民報藤島2026年06月28日第1547号

 「♯赤と白との鉢巻きは・・・勝てや勝てや渡前健児♯」。

 連合運動会会場の藤島小学校へは、学校から西渡前の東外れの大排水堰に沿って歩いて進む。道すがら、先の応援歌や校歌を歌わせながら、教師たちは児童を鼓舞し、記録更新とメダル獲得に燃え、自らも声を高くする。

 ついた先は、倍ほどの面積のあるグラウンド。測れば同じ100mだろうに、広く遠くに感じたものだ。

 スタートラインに着くまでに気づいたことがあった。藤島小児童だけが真新しいズックを履き黄色や白の鉢巻き勢など、他校の児童は浅靴(ゴム製)の跡が判る素足だった。

 当時メーカーの印はズックに無かったものの、皆韋駄天(いだてん)のように走るのだろうと、気落ちしていた。

 号砲とともに、足の回転が速くなっている自分が居た。何故なら、土の表面がやたらにチクチクしていたからだ。後に聞いて判ったが、石炭ガラを撒いていたのだった。

 鉢巻きの色はともかく、ズック組を尻目に、裸足勢でゴールを争った。

 日が暮れかかるまで盛り上がった地区の運動会はいま、様変わりした。

 ほとんどが午前中で終了し、動きの大きい種目は消え去った。

 小手先の動きで競い合うのか、集団が固まって何をしているのかさえ、自陣から伺えない競技もある。

 当時、本部テントのアナウンス部長は幕野内の城戸豊作さん。

 すべての種目の内容と段取りに精通していて、進行上、推進員をまとめ、高齢者が参加できるよう実施した「桟(さん)俵(だわら)投げ」の時は、選手紹介を屋号入りで行う。まるで戸籍係がマイクを握っているかのようだ。

 後年は、名口調の柳久瀬の今野朋明氏と筆者がマイクを持つこともあったが、しゃべりすぎてスイッチを切られることもあった。

 学校の畑には夜も開けぬうちから通い、地吹雪祭では炭をおこし弁慶飯を焼いた。

 城戸豊作さんは敬老の番付にも載らない若さで天寿を全うした(80歳・20日逝去)。地域のためにありがとう。合掌。・・・(つづく)


(写真は旧藤島町農協時代、藁文化大祭での「桟俵(さんだわら)投げ」競技の様子)


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