渡前小子ども獅子踊り今昔物語 

藁(わら)文化の里⑥

渡前獅子踊り保存会 太田功

民報藤島2026年06月21日第1546号

 40年以上前にさかのぼる。当時、大分県知事平松守彦氏が提唱する「一村一品運動・全国シンポジウム」に参加するため、大分県に飛んだ。

 既に東京に一極集中の気配があった中で、地元の環境を保全しつつ、それぞれの地域の風土や地形に合った今ある資源を生かして発展させようと、大分県全域に町づくり運動を促したものだ。

 大分県内の各地から集まったパネラーとなった生産者や地域活動者が、人口減少・若者流出を憂い悲嘆する話題でなく、生き生きとわが町自慢を力説していた。

 その運動、諸説はあるが宮崎県綾町(町が有機認証認定機関)が先に進めていた「一坪菜園運動」と、大分県大山町(現在は編入合併で日田市)の「NPC運動:梅栗植えてハワイに行こう」がルーツとされる。どちらの町も林業の盛んな山間部である。

 そのシンポジウムを終えた翌日、運動の起源の一つ梅栗の創設者矢幡治美氏宅を訪問。長男の欣治氏が対応し、話に熱がこもり、泊まって行けと、後半は牡丹鍋、かぼす、焼酎が登場。藤島から出向いた青年達は朝焼けを見ることになった。地元を愛し、誇れる産物に気づくこと。何度も強調した。

 その頃藤島でも、前述した月山麓で野菜を作付し、加工する農事法人や加工グループが盛んに活動した。

 大分同様、消費者に向けて、1次2次3次産業を複合的に掛け合わせて付加価値を高めた6次産業化が加速する。

 農協園芸特産課では農家女性をとりまとめ、ふるさとクーポンの発送や産直など後押しした。

 先に学校での獅子踊り活動を進めていた東栄小と、初代の渡前小子ども獅子の両者が、東田川郡会議事堂明治ホールでの披露にこぎつけられたのは、千葉大学宮崎清教授と藁工芸部会のお陰だが、その日に来場者にふるまう芋煮を準備し賑わいを作ってくれたのが、加工クラブ青空(代表成澤久子さん)の皆さんだ。

 地元愛にあふれ、サービスが良すぎ、山盛りの鍋から、湾曲した階段に滴たり落ちた。・・・(つづく)


(宮崎清教授・藤島の藁文化で講演)


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