藤沢周平を読む⑧　鈴木重雄(八色木)

■災厄(さいやく)

　兄が副業に失敗して誰も知らない借金をこしらえていたことで、その金額を返済するために田圃を売らなければならないほどであった。

　その時点でわかったのは、急いで返済する必要な額は、３万円ほどであることだった。

　当時の田圃はヤミ値で１反歩４万円ほどだった。

　兄は事業の失敗したあせりから、自棄(じき)的になり、家の権利書を持ち出したまま行方が分からなくなった。

　もちろん一家の主がすることではないが、考えてみれば兄はまだ30歳であった。父は２年前に亡くなっている。

　そこで兄を探して新しい借金を阻止することと、すでに借りてしまった借金をどうするかで、親戚を巻き込む大騒ぎになったので、周平も寝て休養することも出来ず、次姉と一緒に雪のなか鶴岡市内を歩き回ったり、親族会議を開いてもらって、夜遅くまで借金返済の相談に加わったりした。

　幸い親戚の協力でどうにか片付き、兄も家に落ち着くことが出来たのだが、この事件のあと、周平は無理がたたってかなり痩せた。

　こんなことも影響して、周平の病気は後戻りした。

　中目医師は５月になると気胸のほかに結核治療薬のパスを７月に入れると、さらにストマイの併用を始めた。

　所見では左肺のカゲはほぼ完治したが、右の主病巣はもとのままだという。

　そういう経過は周平の気持ちを底知れぬほど暗くしたが、だからと言って、家に閉じこもってばかりではなかった。

　借金退治で走り回っていたころも、鶴岡に出れば、教え子の高校受験を試験場まで励ましに行ったり、そこで出合った教師と一緒に映画を見たりしているし、東京の友人に頼まれて、担任だった先生の家に必要な書類を頼みに行き、長い時間お邪魔し詩経の話を聞いたりしている。

　そうしていても病状が思わしくないのは、厳然とした事実で、パスやストマイの併用も思ったほど効果が上がっていないことがはっきりした８月末に、中目医師と相談した結果、しかるべき専門の病院に入院することにした。

　申し込んだのは、東京都東村山市にある篠田病院林間荘である。

　手術が必要な人はそこで出来るようになっていた。

　東京と言っても田舎に行くのだと思い、そこで誰に知られず死ぬのも悪くないと考えたりした。